利尻本泊神社
早朝の雨の利尻をさまよううちに、神社の鳥居を発見。ここは利尻山神社の頓宮だ。看板にはリイシリ場所の支配人、阿部喜右衛門の建立とあり、鳥居には天保九年とある。阿部喜右衛門なる人物にまったく知識はないが(ライターの北室さんによればかなり力のあった商人らしい。あらためて勉強します)、場所の支配人とアイヌの 関係はきわめて陰惨な歴史があったことは周知の事実。
神社を囲む杜には言葉にならない空気が漂っていた。
早朝の雨の利尻をさまよううちに、神社の鳥居を発見。ここは利尻山神社の頓宮だ。看板にはリイシリ場所の支配人、阿部喜右衛門の建立とあり、鳥居には天保九年とある。阿部喜右衛門なる人物にまったく知識はないが(ライターの北室さんによればかなり力のあった商人らしい。あらためて勉強します)、場所の支配人とアイヌの 関係はきわめて陰惨な歴史があったことは周知の事実。
神社を囲む杜には言葉にならない空気が漂っていた。
目的の一つ、利尻山は前日に裾野を意味ありげにちらりと見せたきり、まったく姿を見せない。こまったなと言いつつ内心は、「こっちの風景の方が…(北室さんごめんなさい)」
「白糠の羊」を取材した時、羊飼いの武藤さんにこんな話を聞いた。毎年、8月になると必ず注文してくる東京のお客さんがいるそうだ。年に1回だけだが、けっこうな量だという。「お盆に親戚が集まって食べてくれるんですかね」。なんだか光景が浮かぶようだ。「お母さん、今年も注文した?」「大丈夫だって。で、いつ帰ってくるの?」そんな会話が交わされるのだろうか。私もお盆に帰省した時、リクエストしてみよう。空知育ちとしては、ソウルフードである松尾ジンギスカンなどを。(森)

いたいけな羊 Photo:K.Tsuyuguchi
写真は第四号「カイ」農特集の、未使用カット(黒瀬氏撮影)。
当別町で「ふゆみずたんぼ」に取り組んでいる
「ファームひなたんぼ」の主・竹田広和さんの、
お父様が使用していた「田んぼ用中耕・除草機」です。
昔はこの機械を押しながら、
田んぼの中を何時間も何日も歩き続けたそうな……。
と、このように書くと随分昔のことのように感じますが、
人力や馬による作業から機械へと変わったのは、
実際にはほんの(?)40~50年前のことなのです。
自分の年齢と比較すると、最初にイメージしたほどには遠い昔のことではありません。(あなたはどうですか?)
今回の取材で、当別町を含む石狩川下流域にはかつて、
大湿原が広がっていたということを知りました。
開拓初期には河口にイトウが泳いでいたという記録もあるし、
マガンは石狩エリアのあちこちで羽を休めていて、
もしかしたらツルだって飛んでいたかもしれません。
市街地や田園地帯となった現在の石狩エリアにいながら想像すると、
生き物たちに満ちあふれたかつての湿原の光景は
プテラノドン(翼竜)が飛んでいる光景と同様に「遠い時代」に思えるのですが、
実際にはほんの(!)150年前のこと。
時代というのは本当にあっという間に変わるのだなぁ、としみじみ感じました。
食と農を巡る多くの問題も、50年後には「今は昔」ということにしたいものです。
(岩崎)
デジカメを初めて買った。ウソみたいでしょ。「鉄路とまちと」の連載がなけば、おそらく、いまだにフィルムを使ってたと断言できる。そう、頑固なアナログ人間を見下したようにデジカメが私を困らせる。創刊号の札沼線のときなんか、ひどかった。興奮して激写したのに、帰ってPCに取り込んでみたら、ほとんど真っ白。「なんで現場で確認しなかったの?」と、みんなは呆れたけど、そ~んな余裕なんか私にはなかった。絵と文のページだから別にカメラなんかなくてもいい。だけどさ、記憶力がグングン低下している私にとって、カメラは記録係でもあるんだよ。(矢島)

1:列車に乗り遅れたおかげで、当別で時間つぶし。ほら、夢の中みたいな写真にびっくり。<創刊号・札沼線>

2:伊達邸別館の窓から覗き見。なんだか怪し気でしょ。 <創刊号・札沼線>

3:釧路まで8時間の長旅。特急通過待ちの停車時間がまたいいのさ~。<Vol.3・根室本線>

4:前日、帯広で買った「ますや」の白スパパン。もったいないから朝飯前にペロリ。午前6時6分16秒(笑)。 <Vol.3・根室本線>

5:日高本線の帰路。夕陽に向かって列車が走る、走る。
オホーツク文化人の住居模型。一軒の家ですよ(住んでいたのは拡大家族だそうですが)。我が家の何倍?
オホーツク文化人の造形感覚にひたすら驚嘆して下さい。