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カイ│KAI〔WEB版〕




カイスタッフブログ


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水田忠信写真展

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カイ2号の「聞き書き・北海道の物語」でお話を聞かせてくださった水田忠信さんの写真展「炭鉱(ヤマ)の思い出」が、芦別市で開催されています。

展示されているのは、三井芦別炭鉱に35年勤めた水田さんが、炭鉱街の暮らしや祭りを撮影した1965年から1992年までの作品、約300点。なかには、カメラの持ち込みが禁止されていた坑内をキャップライトの光だけでこっそり撮影したものや、閉山後、立坑を倒して解体するシーンを撮した貴重な記録もあります。

会場は芦別の道の駅に隣接した「星の降る里百年記念館」。常設展示も興味深かったのですが、なかでも驚いたのは三井芦別炭鉱の坑道の立体模型。地下に蟻の巣のように張り巡らされた坑道の長さと深さは、想像を絶するスケールでした。地底の道があまりに長くて複雑でまるで現実感が持てないのだけれど、ほんの十何年前まではそんな地の底で、命を張って働いていた人が大勢いたんですね…。

ちなみに、会場で写真の説明を一緒に聞いていた娘(7歳)は「石炭ってなあに?」と質問して、水田さんを絶句させました。

写真展は10月11日まで。9時から5時で月曜休館。写真展のみの入場は無料ですが、展示室は一般450円の観覧料がかかります。

そうだったの?! 太陽の塔

太陽の塔みづゑ
先日、カイ5号(10月20日発行)の特集の入り口は物理学者中谷宇吉郎が札幌に希望を託した1936年の随筆になる、と書いた。記事の中では中谷の二女で「霧の彫刻家」である中谷芙二子にも触れるのだが、興味深い資料に出くわした。美術誌「みづゑ」の1967年6月号。「芸術とテクノロジーのハプニング」という特集で中谷芙二子は、1966年10月にニューヨークで行われた「演劇とエンジニアリングの9晩」という前衛芸術のイベントの詳細なレポートを寄せている。ジョン・ケージやロバート・ラウシェンバーグ、あるいは若き日の 一柳慧のパフォーマンスについての報告は、芸術が時代を切り開いていたころのパワーと緊張感を想像させてくれる。

しかしそれ以上に驚いたのは、「眼」という時報で美術記者安井収蔵が、近づく「大阪万博」(1970年)の準備を取り上げたレポートだ(中谷芙二子はこの万博で初めて霧の彫刻を発表)。安井はここで、大阪万博ではメイン会場(お祭り広場)に「インヴィジブル・モニュメント(見えない記念物)」という全く新しい手法が取り入れられると告げる。モニュメントとは壮大にして壮麗なものという文明史の常識を乗り越えるべく、丹下健三、磯崎新らは「目に見えない記念構築物」(音と光による環境演出と、そこに集う人々自体をモニュメントとするコンセプチュアルアート)を構想している、と。

でも誰もが知っているように、大阪万博のシンボルモニュメントは岡本太郎が作ったあの「べらぼー」(岡本の言葉)な太陽の塔だ。どんな経緯があったのだろう。

以前、大阪万博の現場にいたプロデューサーの浅井栄一さんと仕事をさせていただいたとき、浅井さんや、同じく万博に深く参画していた泉眞也さんに、当時の話を聞いたことがある。けれどこんな事実を知っていたら、もっともっと突っ込んだ話が聞けたなぁと思う。

取材相手に後日、「あの件についてもう一度お話を」と言いたいことはしばしばあるもの。時には年を経てから同じテーマに立ち戻り、それをスリリングに変奏していければ良いのだが。

豊ヶ岡駅昼下がり

札沼線豊ヶ岡駅

札沼線豊ヶ岡駅



廃線ではありません。

廃線ではありません。


先日も北海道新聞で日本の「秘境駅」にランクインされる駅として紹介された、札沼線の「豊ヶ岡駅」(月形町)。秘境駅とは、「通じる道すらない場合もある、乗降客がほとんどいない駅」だという(「秘境駅へ行こう!」の著者牛山隆信氏の定義)。

確かに豊ヶ岡は、とても現役の鉄路とは思えない駅舎とホーム(石狩月形を過ぎると札沼線は圧倒的な僻地線となる)。何しろ駅のまわりには駐車場や自販機はおろか、満足なアプローチもない。現在の1日の利用客はなんと数人らしい。

もともと秘境駅とは、鉄道ファンが「ネタ」として仲間内で密かに口の端に乗せて楽しんでいたものだろう。それをメディアが大まじめで「ベタ」に取り上げることに白けてみせてもはじまらないけれど、「秘境」を「知られざる人跡未踏の地」と定義するなら、未知の領域は、この駅がなぜ秘境と呼ばれる現状に至ったかという史実の方にありそうだ。豊ヶ岡駅はもともとこの6キロ奥にあった月形炭鉱(1963年閉山)の積み出し駅だった。炭鉱と駅は、石炭を運ぶ索道(スキー場のリフトのようなもの)で結ばれていたそうだ。

さて現在仕上げにかかっているカイ5号(10月20日発売)。「風土と建築」をテーマにした特集は、物理学者中谷宇吉郎(北大教授・1900~1962)が1936(昭和11)年に札幌について書いた随筆が入り口となる。その稿のある、中谷が1938年に出した最初の随筆集(「冬の華」岩波書店)の後書きには、34歳で病に倒れた実弟の治宇二郎(考古学者)が旧制中学の同人誌に発表した小説を、芥川龍之介が激賞していた史実が書かれていて興味深い。

歴史を入り口にすることも多いカイのテクストだが、歴史雑誌ではない我々の興味と志向は、ことさら北海道史の秘話や細部にはない。我々は、「いまここ」について語るためには、少なくとも50年100年単位のモノサシや、小さな史実の関係網への目配せが欠かせないと思うだけだ。そのことが「カイらしさ」と認められながら、幼い本誌がなんとか成長していけることを期して、ご購読をお願いするばかりです。

露口啓二 写真展 「ミズノチズからオホーツク・シモキタへ/写真の照相=照層の写真」

2009.9月18日(金)〜27日(日)11時〜18時

(最終日のみ16時閉館)  会場:八戸市美術館

この10日という短い期間、本誌「カイ」のメイン写真を撮る一人、露口啓二氏の大規模な写真展が開催される。

自分に的確な露口写真の世界を言い表せるとは到底思っていないけれど、ただ一つだけ、昨年の8月11日から1週間行われた“アフンルパルex.”と名付けられた展覧会での強烈な印象は、

人の眼を通して写されたものではないような 人の気配が全く無く そこに居るはずの ただ一人の存在すら感じない。 これは写真なのか? という想いだった。

そこにある意味を考えることさえできなかった。

八戸で行われるこの展覧会で 露口氏はさらに透明化しながら

重層化と錯綜を積み重ねる過去と今を表現するのだろうか。

(佐藤)

十勝・本別町「菓子の家」〜「からまつ」 へ

先日 カイ2号“KAI Topics” でご紹介の

「美しい山と川の町・本別町」へ行って来ました。

アイヌ語では「ポン・ベツ」(小さい・川)を持つ町です。

しかしまちを蛇行して流れる利別川には大きな存在感があります。

豆が町の特産品。“キレイ・マメ”でブランド展開しています。

http://www.town.honbetsu.hokkaido.jp/

美味しいお菓子屋さんがあると聞いて

見つけたのは“菓子の家”。知る人ぞ知る洋菓子店。

残念ながら定休日。でも店主の佐藤孝之氏に会いました。

佐藤さんのこの言葉が印象的でした。

「北海道の良質な素材は生かします。でも道産以上のものがあれば

それを使います」

道産100%流行りの昨今、職人は違う視線で北海道を見つめていました。

http://www.honbetsu.or.jp/houjinkai/kashinoie/index.htm

そして本別町の夜、“味の店 からまつ”へ。

美味いです!魚・肉・野菜どれも そしてお酒も沢山の種類。

店主・田西氏は「古本とジャズ」を愛する人です。

http://www.honbetsu.or.jp/karamatu.html

宿泊は本別町「さがみ屋旅館」。

良心的な料金とシンプルで美味しい食事。

(今回朝食のみ食べました。部屋まで運んでくれました)

おかみさんの人柄とこだわりをひしひし感じます。(佐藤)

http://www.honbetsu.or.jp/0509list/list.cgi?id=82&mode=show


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