春待ち
寒い日が続いてます。
みなさま御自愛を。
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寒い日が続いてます。
みなさま御自愛を。
昨年発見したわが究極のルーツ、阿波忌部氏が作ったとされる忌部山古墳に今年も行ってまいりました。
昨年の忌部紀行はCD-Rにまとめ、あちこちに配ってみましたが、極一部の方にはすこぶる好評でした。
(「忌部紀行2009 CD_R版」をご希望の方は露口までお申し出ください。無料です。)
今年はカイでご覧ください。
私の生まれ故郷である徳島県吉野川市は吉野川の中流域に位置し、旧名を麻植郡川島町三ツ島といいます。隣町に忌部という興味深い名の場所に、忌部山という標高250mほどの小山があり、麓に忌部神社、その少し上に近隣の人々からは「聖天さん」と呼ばれているらしい寺社が、さらに山道を歩くと、忌部山古墳群と呼ばれる6基の古墳があります。
「徳島県の海岸地帯、南部の海部郡から北部の鳴門市に、古代より海を活動の舞台とする人々の生産と居住の場が点在していた。そこに鳴門海峡から阿波を越えて土佐にまで延びる海上ルートが想定でき、さらには、それは紀伊水道を中心として、淡路島、紀伊国を含めたカイフ(海部)の世界を構成している。
平野地帯である吉野川上流から少し山が迫った地域である中流域の人たちは、剣山を中心とした山地方面を指して「ソラ(空)」と呼んでいたらしい。忌部山のある麻植郡山崎は、四国山地に入る交通路の起点であり、平野の世界とソラの世界との境の地、津であり、市が立つ場所であった。忌部氏とは、市を通して山の世界と交渉を持つ存在であった。」
以上は丸山幸彦著「図説日本の歴史-徳島の歴史-」からの要約です。素人の要約で丸山幸彦氏にご迷惑をお掛けするかもしれませんが、要するに阿波忌部氏とは吉野川を介して「カイフ」と「ソラ」を結ぶ存在なのです。
では写真を。
こんな感じの山道をあがると
聖天さんです。
この日は雪が降っていましたが、バナナがなっていました。さすが南国です。
山頂までこんな道です。
途中で見た吉野川。かつてはずっと山よりを流れていたようです。
これが忌部式といわれる古墳。
いかがでしたか。
ついでに
吉野川とソラ。
長い時間ありがとうございました。
2009年、「スタイルのあるモノ語り」では、
多くの北海道の作り手の方々にお会いでき、
実り多い年だった。
北海道と言えば、食や観光ばかりが注目されるが、
こつこつと、北海道ならではのものづくりをしている
たくさんの作り手がいることを、
これからも紹介していきたい。
それはきっと、
北の地でなければ生み出されないものに違いないから。
いわゆる日本的伝統とは異なったバックグラウンドから、作られるもの。
その面白さは、ほかにはない。
今年1年、ありがとうございました。
そして新しい年に、また走り出します。

次号登場の苧坂恒治さんのギャラリーにて。器にうずまきの宇宙が広がる
10月31日、北海道大学の植物園で一般公開された、擦文時代の遺跡を見学した。
北海道では縄文時代のあと、弥生、そして古墳・・・
というふうな文化には、ならなかった。
続縄文、擦文(オホーツク文化もあった)と続き、アイヌ文化へと至る。
そのうち擦文時代の竪穴住居址(本州では奈良~平安時代)が
北海道大学の植物園で発掘されている。
発掘現場は植物園正門の北側にあたり、道沿いにあるのでけっこう目立つ。
普段は柵の外側から発掘作業を眺めるだけだが、
その日は特別に中に入り、間近で見ることができた。
しかも北大埋蔵文化財調査室員の解説つきで、ちょっとお得な気分。
この時代の竪穴住居址は、住居部分(リビングみたいなもの?)が、
角ばった形をしている。そしてカマドがついているのが特徴。
キッチンがちゃんと設置されているところがなかなか機能的だ。

かまどにはちゃんと煙の噴出し口も作られているという

本当は、横にはもっと白鳥がいる
ハッピーハロウィ〜ン
今年の春、夫婦そろって十勝へと旅立った元アシスタントのE君より届きました。
弊社「フレメン写真製作所」の浮き文字カボチャです。
この夏、彼が自分で育てたカボチャです。
すごいな〜。
こんなの作れる様になったんだ。
移住後3ヶ月ほど経ったころ
帯広取材の帰りにちらりと職場のSHOPに寄ってみたら
ちょうど離れた畑で小麦の刈り入れ最中だったのを中断して来てくれました。
久しぶりに見たヤツの顔を見てびっくり。
日に焼けて、肉も締まり、なにより顔付がすっかり大人に変わっていた。
思わず「いや〜っ!・・・オッサンになったね〜!!」と口から出てしまうほどに。
本人は全力でイヤがってましたが、ほんとにまぁ。
たかが3ヶ月、されど。
自信に満ちたその顔を見た時、
「アシスタントというのは『職業』では無い」と、ある写真家の言葉を思い出した。
「その職業に就くための修業期間、過程を表す『状況』である」とかなんとか。
なるほどな〜・・・と。 前はひたすら柔和な顔だったもんな〜。
自分の手から生み出すモノが製品になるという喜びを知ったE君は、何とも良い面構えに変身しました。
あのままカメアシを続けていても、きっとあんな精悍な顔付にはならなかっただろう。
新天地でも、まだまだ修行の身なのでしょうが
時折届くメールには、勉強中の仕事の事、作物の事、食べ物、天気、奥さんの事、
そして、先日生まれたばかりの息子の事が書かれており、日々を充実して暮らしている様子に一安心。
愛息くんの名前には「崇」という文字が入っているのですが
この字は『高く大きな山』という意味を持つ、との事。
目の前に広がる山々にちなんだ名前が付きました。
メールを見た時に、
十勝に旅立ったのは本当に良い選択だったんだな…と実感しました。
農業、酪農、製品加工まで全て自分たちで行う、わりと有名な仕事場なので
いつか「カイ」で取り上げる日がくるかもしれませんね。
9月半ばの霧多布湿原へ。
昆布漁の舟で向かうは、めったに人が足を踏み入れないという場所だ。
案内してくれたのは、地元の漁師・杉澤好紀さん。
霧多布湿原のすぐそばで生まれ育った。
木工作家でもあり、おもにおもちゃを製作している。
どこかユーモアを感じる作品に、杉澤さんの人柄がにじみ出る。
そしてこの湿原と海がなければ、生まれ得ない作品たちだ。
湿原で見られるヤチボウズの「やちっこ」たち、発見!
ワタスゲを手に、湿原をかわいく冒険していますよ。
この場所では、巨大なコケの塊が見られる。
コケのテーブルの上には、さまざまな種類のコケと植物が生育している。
この塊を地元では「ボウズ」と呼んでいるのだとか。

ガンコウランの実
もうすっかり秋の気配。
8月も終わるというのに、7月の話題ですみません…。
7月9日~7月13日、「北の模様帖」と題された展覧会が、
雑貨を扱うショップ「cholon」の2Fスペースで開かれました。
札幌で模様づくりを行う「点と線模様製作所」岡恵理子さんの、
オリジナルのテキスタイルや刺繍作品が勢ぞろい。
北海道の生活から生まれたという模様には
どこか北欧の雰囲気が漂います。
天井に貼られたテキスタイルが、
なんだかヨットの帆のように見えたので、下から激写。
模様の原画は、ハンドクラフトで作成されています。
圧巻だったのは、切り絵で作られた原画。
細かくて切るときに目がチカチカしそう…。
とりあえず、超がつくほど不器用な私にはムリです(苦笑)。
岡さんの模様については、次の号で取り上げます。
乞うご期待!
北海道米の源 北海幹線用水路わきに生息
「カイっぽい」かどうか謎ですが投下。
幼い頃から「もっと落ち着いて行動しなさい」と事あるごとに言われて育った。そんな人間が車で各地へ出かけるのだから、当然のようにあちこちで道草をする。
内陸部で生まれ育ったせいか、海岸線では寄り道頻度が高まる(頻度ってほどの大袈裟なものではないのですがね…)。特に渡島や檜山の海沿いの国道に現れる「○○市街」という標識を見つけると、もういけない。この場合の多くは漁業者の集落へと続く道で、○○市街を通り抜けて元の国道にぶつかるので、そう大きな回り道にはならずにすむから、余計にあちこちの枝道へと入っていくことになる。
そこには国道(幹線道路)を走っているだけでは見ることができない風景や家並みが広がっている。もちろん観光客の姿などなく、なんとなく他人の家に勝手に上がり込んでしまったような居心地の悪さを感じたりもする。写真を撮るにもカメラはいささか遠慮がちに構えて、そそくさと退散することになる。
知らない土地の中で、広い北海道にはいろんな町や集落があり、そこに生きる一人ひとりが道民なのだと当たり前のことを考えながらも、その当たり前の事実がなぜか少しうれしかったりする。それにしても、写真はどうすれば上手になるのだろう。
